一面に赤く染まった大地と、奇妙な風景の写真を見つけた。今まで見たことのない光景だった。調べてみると、それはガラパゴスだった。
どうしても、この目で見てみたくなった。
その夢が、2013年の夏に実現した。
この旅は、後になって思えば、人生の大きな転機となった。
一面に赤く染まった大地と、奇妙な風景の写真を見つけた。今まで見たことのない光景だった。調べてみると、それはガラパゴスだった。
どうしても、この目で見てみたくなった。
その夢が、2013年の夏に実現した。
この旅は、後になって思えば、人生の大きな転機となった。
ガラパゴスについて調べてみると、生態系保護、宿泊施設の状況などの理由で、いくつかの島に宿泊するアイランド・ホッピングかクルーズ船を利用する方法が一般的らしい。規則などいろいろと複雑そうなので、南米・ガラパゴス専門のツアー会社とうたう㈱アートツアーという旅行会社を経由して手配した。「赤いセスヴィウム(Sesuvium)を見ようとふと思い立った旅」ということで、セスヴィウムが群生するというサウスプラザ島(Isla Plaza Sur)を訪れることができる『エクリプス号(M/V Eclipse)』という中型船での『南側諸島クルーズ』-5泊6日を選択した。本来は8日間のクルーズだが、6日目に空港のある島に戻るのでここで下船するという行程にした。往復の旅程を加えると、とれる休暇の日数を遙かにこえてしまうので、このような行程にしたのだった。
このエクリプス号は2016年に所有社が変わっているが、Nature Galapagos & Ecadorなどいくつかのエージェントから予約できる。
ガラパゴスに行くためには、通常、アメリカ経由で飛ぶ。しかし、アメリカからエクアドル(República del Ecuador)までの便がなかなか取れない。アメリカ国内では場合によっては2回のトランジットをしなければならない。この事態を回避するため、オランダ経由にした。成田を午前中に飛び立ち、同日夕方に、アムステルダムに到着。スキポール空港の近くで一泊のストップオーバー。エクアドルでは首都のキト(Quito)で一度着陸して、その後同じ便で商都グアヤキル(Guayaquil)へ。昨日に続いて11時間のフライトは疲れた。グアヤキルでは、再びストップオーバーのためホテルへ直行。つまり、現地に着くまで2泊がストップオーバーで追加されたわけだ。
ホテルでは、「治安が悪いので、むやみな外出は控えてください。空港などでもタクシーを拾わないでください。」なんていう物騒な注意書きがあったし、口頭で注意もされた。空港からホテルまでにみた街の雰囲気は本当にそんな感じでとても外出する気にならなかった。その年の12月に新婚旅行中の夫婦が流しのタクシーに乗車して殺されたというニュースを見たとき、本当に緊張感のある土地だったと思い返した。
なお、帰路は、グアヤキルから直接アムステルダム。アムステルダムでは約3時間の乗り継ぎで成田へ飛んだので楽と言えば楽だった。
翌朝、ホセ・ホアキン・デ・オルメード国際空港(Aeropuerto Internacional José Joaquín de Olmedo GYE)へ戻り、AeroGal(ガラパゴス航空)で、ガラパゴス諸島の中のバルトラ島(Isla Baltra)のセイモア空港(Aeropuerto Seymour GPS)まで飛んだ。外来種の虫などを持ち込まないための手続きはそれまで訪れたどこよりも厳しかった。靴底はきれいにさせられる、持参の靴も検査される。機内ではクルーが殺虫剤を散布してまわるなど。徹底して外来種の侵入を防ごうとしているのだろうが、訪問者がエリア内での行動に対する意識を高めるために非常に有効だろうと思った。
ガラパゴス諸島に入る際、一人あたり100米ドルの入島料(2026年現在では200米ドル)が徴収される。環境保護・保全のために資金が必要なことは十分にわかるので高いとは思わなかった。その他、入国人数制限などもあり、さすが世界の環境保護地域 「ガラパゴス」 だけのことはあると思ったのだ。
Aerolíneas Galápagos 2009年にアビアンカ・エクアドル (Avianca Ecuador) の傘下にはいり、その名はもうない。
セイモア空港につくと直ぐに船へ移動し、クルーズの開始となった。
ルート概要は次の通り。
上の図は、7泊8日の際のコースのものだが、5泊6日のわれわれはエスパニョーラ島へは訪れなかった。
エクリプス号は乗船客定員58名の中型船だった。われわれの部屋は、窓、シャワー・トイレ付きのキャビン。広さも十分で快適に過ごせた。
驚いたことは、揺れること。普通に机の上にものを置いておいたら全部落ちるくらいの勢いで揺れた夜が2回ほどあった。それでも、ほどよく疲れていたので眠られないことはなく、次の朝食時の話題になった程度だった。この夏の時期、このくらいの揺れは普通らしい。また、夏で赤道直下でありながら、寒い時が結構あり、長袖と、ウィンドブレーカーが必要だった。ウィンドブレーカーは、島によっては虫が集まる派手な赤やピンクは避けてくれと言われ、ショッキングピンクを持って行った我々としては困ったが、どうしようもなく、そのまま着用していた。
各島で下船して見て回るのだが、個別行動をとることはできず、全て乗船しているガイドに引率されてグループとなる。食事も相席だったので、ツアー旅行者のほぼ全員と知り合いになれて、しかも参加者の国籍が多様(ギリシャ、イスラエル、モナコ、アメリカ、メキシコetc)で、色々な話に花が咲いた。錦織圭と知り合いだということで、我われだったら知っていると思ったらしく話かけてきた青年なんかもいた。今回は珍しく日本人が我々だけだったのは少し驚きだった。また、ガイドを含むスタッフも気さくで楽しく過ごせた要因だった。
食事は、普通。ビュッフェ形式で好きなものが食べられた。ただしアルコールが有料で、ワインはあまり口に合わない。ということで、殆ど口にしなかった。気候の関係かビールより水の方が美味しかったのが事実。また、デッキでする食事は格別でこの旅の醍醐味の一つだった。
画像は、もちろん自分で撮ったものだが、当時は、まだ、そんなに嵌まっていなかったので持っていたAPS-C のデジタル一眼レフカメラ(DSLR)で撮影した。きっと必要だろうと思い急遽購入した70~300mm F4-5.6Lのズームレンズを使って撮ったものが多い。改めて見ると、2026年現在の画質にはおよばないとはいえ結構面白いアングルで撮っていたものだと思う。この理由で画像を拡大表示したときに十分な大きさになっていなかったり、解像度が不足していたりするものもある。拡大できそうな画像はカーソルを「+」にし、クリックで全画面表示になるように設定した。
なお、この旅行記では紹介しきれない画像は、別ページ「Galápagos Photo Gallery」で紹介することにした。是非、見てほしい。
動植物の名称は、英語を話すガイドについた現地では英語で教わっていたので聞いたのに近いカタカナの表記にするが、日本語でも頻繁に使われる場合は日本語で表記した。メルティング・ポッドみたいな表現になっていることはご容赦を。
それでは、ルートに沿って島の様子や動植物、それに船での様子などを紹介していく。
飛行機が到着するバルトラ島から乗船したクルーズ船で最初に訪れる島。最初の小さな島なのであまり期待していなかったが、驚きの始まりだった。
アシカ(Sea Lion)、グンカンドリ(Frigatebird)、アオアシカツオドリ(Blue-footed booby)などが、至近距離にいるではないか。グンカンドリの膨らます赤い頬袋。鳥をはじめとする動植物に目を奪われてしまった。写真撮影も動物を狙うようになり、望遠レンズをつけっぱなしにするようになってしまった。
この日は午後からのスタートだったので、エクリプス号に戻ったのは午後7時頃になっていた。
ノースセイモア島で撮影した写真は、Galápagos Photo Galleryのノースセイモア島セクションに掲載している。また、この島の概要も記載した。
前夜、ノースセイモア島を出航した船は、翌朝サウスプラザ島とノースプラザ島の間に停泊していた。朝食後パンガ(Panga)と呼ばれるボートで陸地まで行き上陸する。
この島では、この旅で最も見たかった赤いセスヴィウムが広がる光景が見られるはずだと期待していた。到着すると曇天でまさしく、「あの画像」である。溶岩性のゴツゴツした地面に暗赤色のセスヴィウムが広がり、暗い緑のサボテンが点在する。セスヴィウムが色づく乾期に訪問し、見たいと思っていた光景を見ることができて大満足だった。
サボテンはパドル・カクタス(Paddle Cactus )と紹介されるが、正式名称は、ウチワサボテン(Galápagos Prickly Pear)らしい。しかし、通常はカクタスとしか言ってないみたいだった。ツナ(Tuna)という呼び方もあるようだ。
この島は、リクイグアナ(Land Iguana)が多く生息する島でもある。もちろん他の島にもいるが、この島ではリクイグアナがウミイグアナと交配してハイブリッドイグアナとなったものがいるという。ただし、生殖力をもたない一代種だそうだ。ひょっとしたら長い年月の果てには新種となるのかもしれないと思うのは、進化論が生まれた場所だからだろうか。
その他、アシカ、幾種類もの鳥もいる。彼らには楽園なのだろう。
暫くすると天候が変わり青空が広がった。するとどうだ、全く違う印象の光景になってしまったではないか。赤と青のこれまた異世界となった。どちらが絶景と言えるか?どちらかというと曇天下の方が好みかもしれない。
サウスプラザ島で撮影した写真は、Galápagos Photo Galleryのサウスプラザ島セクションに掲載している。
サウスプラザ島を後にし、午後に訪れたのがサンタフェ島。まずはシュノーケリングをすることにした。この近辺の海は透明度が高く、海流の流れが緩やかなところだった。溶岩で形造られた地形を背景に、海洋生物を楽しむのが目的。アシカ、ウミガメなどが泳いでいるのが見られた。しかし、第一印象は寒い!寒流の影響なのか海の水は冷たく、日が隠れていて太陽の恵みも受けられなかった。一気に気持ちが萎えてしまった。以降何回か機会があったが参加しなかった。
本来ならダイビングをスケジュールに組みこみたいところだが、今回は日程の制限があり、最初から断念していた。後日、調べてみると水流の早さ、水温の低さ、潜る水深の深さなどの要因から中級から上級者向けらしく、また、潜る場所も200kmほど離れたところらしい。最初から考えていなくて正解だったのだ。
その後、アシカのコロニーが有名だという入り江 バリントン・ベイ(Barrington Bay)から上陸する。ここでは砂浜から上陸するのだが、これまでと違って一旦海に降りて脚をぬらすウェットランディングだった。持って来たサンダルが役立つ。この浜から観察用のトレイルが設置されていて、このトレイルにそって歩くことになる。ノースセイモア島とサウスプラザ島ではあまりトレイルを意識していなかったが、ここでは林の中のようなところも歩くのではっきりと認識した。観察者はガイドとともにトレイルを歩かなくてはならず、ひとグループの人数も制限されていた。たしか15名ほどだったと思う。
巨大なサボテンが林立する脇を通り、小高い丘を周り優しい感じの風景を見る。サボテンが巨大化して、幹の樹皮が木のように固くなっているのはこれはリクイグアナなどの草食動物から身を守るための共進化の証だとガイドさんが説明していた。どれくらい巨大かというと、最初の写真の右下の方を見てもらうと人が映っているので比べれば大きさがわかる。
トレイルは丘を一周して浜に戻る。
途中では、イグアナやアシカがトレイルを塞いでいたり、すぐそばのブッシュの中に、ダーウィンが進化論の着想を得る上で、フィンチと並んで重要なヒントを与えたと言われるモッキンバード(Galapagos Mockingbird ガラパゴスマネシツグミ)がいたりで、30分ほどのウォーキングがとても短く感じた。サンタフェ島にしかいないサンタフェリクイグアナは、全身黄土色で陶器で作った物のようだった。浜に戻る手前にガイドが「見られればラッキーだよ」といっていたノスリ(Galapagos Hawk)がいた。われわれはきっと幸運なのだろう。
また、船に戻る時になると、入り江にサメが入り込み岸から数メーターの所まで接近。パンガに乗るには海に脚を入れることになるので、さすがに待機せざるを得なかった。
サメの三角ひれが直ぐ目の前にあり、みな「ジョーズだ!」と言っていた。日本人だけじゃないのだな、これは。
サンタフェ島の概要と撮影した写真は、Galápagos Photo Galleryのサンタフェ島セクションに掲載している。
デッキの様子。とても気持ちがいい場所。アクティビティの後などにくつろぐのに最適。
われわれの部屋。思いのほか広くて快適だったことは前述したとおり。ベッドメイクの時に替えてくれるバスタオルの折り方がとてもかわいかったのも記憶に残っている。このように、スタッフの心遣いは行き届いているし、対応も非常にフレンドリーだった。右下の写真は部屋の前の廊下。小さい船の廊下は暗くて怖いイメージを持っているけど、全くそんなことはない。明るくて清潔だった。
掲示板には、翌日のアクティビィティ等についての掲示がされている。ここでオプションなどを確認して予約したり、質問をしたりとコミュニケーションの場にもなっていた。
サンクリストバル島では、プンタピット(Punta Pitt)、セロブローホ(Cerro Brojo)の二ヶ所に上陸した。
サンタフェ島から移動してきた船はサンクリストバル島プンタピットの沖に停泊していた。ここでは、まずオプションの早朝ウォーキングに参加した。ボートで入り江のビーチにウェットランディングし、岩山を浸食する雨水の流れ沿いに確保されたトレイルを登った。流れといっても乾期で水は全くない。100mは登っていないと思うが、少ししんどい。
トレイル終点の崖の上には真っ赤なセスヴィウムと緑の低木が織りなす鮮やかな光景が広がる。
この辺りには、アカアシカツオドリ、アオアシカツオドリ、マスクカツオドリの三種がいるとのこと。アカアシカツオドリの巣が見えたが角度が悪く、とうとう赤い足のまともな写真が撮れなかった。この1時間ほどのウォーキングは気持ち良く、またある意味での絶景を見ることができて、参加する価値があった。
黄色/緑の低木はポートラカ・ハウザエリ(Galapagos Purslane)と思われる。
このプンタピットから次のセロブローホまでの航海中、鯨の群れに遭遇した。最初、大きな水しぶきに気付き見ていたらクジラで、ジャンプする姿を見ることができた。ザトウクジラ(Humpback Whale)とのことだった。もう少し近ければと思うけど、贅沢は言うまい。
セロブローホ(英語名 Witch Hill 魔女の丘)は、火山性の凝灰岩で形成されたコーン状の丘で、手前にには溶岩が固まってできた黒い一帯がある。
近くに珊瑚由来の白い砂浜(Playa Cerro Brujo)がある。
1835年9月18日、ダーウィンを乗せたビーグル号はスティーブンズ湾(Stephen's Bay)に投錨し、彼がガラパゴスで初めて足を踏み入れた陸地が、このセロブローホの浜辺だったと記録されている。浜辺の写真で右の沖合に島影が見えるが、これはレオンドルミード(León Dormido 「眠れる獅子」)と名付けられた海から突き出ている岩山だ。。
浜辺にに上陸する前に、湾の北側にプンタデド(Punta Dedo デド岬)の先端までパンガライド。プンタデドの崖は脆い凝灰石で形成され、ガラパゴスの強い海流にさらされるなどして海食崖となったものだ。急峻で荒々しい。通り抜けられる海蝕門(Arco de Cerro Brujo)もできている。ここを通してみるレオンドルミードは撮影スポットとして超有名とのこと。自分も撮っていた(笑)
このパンガライドではいろいろな鳥が見られた。太陽の光が反射するなかで狩りをしていたクロアジサシ(Galapagos Brown Noddy)の群れは絵になる。
パンガライドの後、白浜にウェットランディングし、1時間ほどゆっくりとしていた。水たまりで遊ぶ鳥や、アシカがいるだけ静かな場所だった。ビーチの奥に塩湖があったが、亀の産卵場所とかで立ち入りが禁止されていた。
ここでも、黄色いかわいいガラパゴスキイロアメリカムシクイ(Galapagos Yellow Warbler)、ダーウィンフィンチの仲間、アシカなどがいた。
レオンドルミードは、方向によって確かにライオンのように見えないではない。しかし英語ではキッカーロック(Kicker Rock)だそうだ。見る方向によりブーツ/靴にみえるからだとか。
船に帰ると、ちょうど日没時刻でレオンドルミードの夕景を堪能し、この日を締めくくった。
サンクリストバル島の概要と撮影した写真は、Galápagos Photo Galleryのサンクリストバル島セクションに掲載している。
フロレアナ島はガラパゴス諸島のなかで人間が最初に定住した島で現在も少ないが定住者がいる。この島では3ヶ所を訪問した。
今回一番のサプライズの場所だろう。クルーズ船からパンガで郵便箱があるポストオフィスベイ(Post Office Bay)へ行くのだが、手前で飛翔するフラミンゴ(ガラパゴスベニイロフラミンゴ Galapagos Flamingo)に出会った。フラミンゴを追いかけてラグーンのような湾に入っていくと一団がいて優雅な姿を見せてくれた。
至近距離からシャッターを切ることができ、幸運だった。ここは常にいるところではないらしいが、時々いるらしく、いるときはこちらを優先するらしかった。
この湾は、ラ・オラ・ベイ(La Olla Bay)といい、 バロネス・ポイント(Baroness Point 貴婦人の場所)という見晴らしの良いところがあるらしい。今回は当初から見晴台に登る予定ではなかったようだ。なお、由来になっている貴婦人の話が面白い。オーストリア出身の男爵夫人が三人の男とともに暮らしていて、ある時、突然いなくなっていることが判明した...というもの。実話なんだろうかと思う。
しばらくすると他のパンガも近寄って来た。おそらくガイド同士で連絡を取り合っているのだろう。
その後、ポストオフィスベイに立ち寄った。ポストが置かれているのでこのネーミング。昔捕鯨船などの停泊地として使われた場所で、そこに置かれたポストに投函すると、郵便が出せる街などに早帰る人が持ち帰って投函してくれていたとのことだ。今でもここを訪れる人に引き継がれているらしい。ほとんどの訪問者は長期間滞在したりするわけではないので、お遊びではあるが記念になる。
ポストオフィスベイでも観察用トレイルを少しだけ歩く時間があった。固有種のガラパゴスワタ(Galapagos Cotton / Darwin's Cotton) などが見られる。
午後の早い時間は、チャンピオン島の周りでパンガ・ライド。多くの人がシュノーケリングに行く間の代用ツアーと言うところだろう。絶滅が危ぶまれている鳥を探しにいこうというミッションが提示されたが、発見できず。その鳥の名称はの確かな記憶はないが、フロレアナモッキンバード(Floreana Mockingbird)だったと思われる。希少種なので見つからなかったのは不思議ではない。ところが、2025年にフロレアナ島では絶滅したと思われていたガラパゴスクイナ(Laterallus Spilonota)が190年ぶりに再発見された。そんなこともあるのだが、われわれの探索で奇跡は起こらなかったわけだ。
奇跡の発見ができなかった代わりと言っては何だが、トロピックバード(Red-billed Tropicbird アカハシネッタイチョウ)などの撮影ができた。飛ぶ鳥の写真はピントが合っていなかったり、ブレたりでなかなか良いものがない。撮れ高が実に小さい。デジカメで数多く撮ってピックアップするのでなければ壊滅的撮れ高だったろうと思う。昔の写真家に敬意を表さずにはいられない。
プンタコルモラント、つまりコルモラント(鵜)がいる岬といった意味だがコルモラントは見られないそうだ。なんでもアメリカの有名な掃海艇にちなんでつけられた地名らしい。変なの。
案内マップでは、チャンピオン島はプンタコルムラントの後に書かれているが実際は逆だったことになる。
さて、緑がかった色の砂浜プラヤベルデ(Playa Verde)にウエットランディングする。大量に堆積した火山性のカンラン石(Olivine)が緑色の原因ということだ。浜から離れ、岬の付け根を横切るようにつけられたトレイルをウォーキングする。少し歩くと見えてくる汽水湖はフラミンゴ遭遇率が最も高いと言われているとのことだが、二羽ほどが豆粒のように見えただけ。午前中のラ・オラ・ベイでの遭遇で充分堪能していたのだが、こちらでは少し遠くても大群が見られるかと期待したが少し拍子抜けだった。
そのまま歩き、東向きの海岸に出る。こちらの浜は白くプラヤブランカ(Playa Blanca)と言うそうだ。珊瑚礁由来らしい。グンカンドリが飛びまわり、ペンギン、アオアシカツオドリが狩でダイブするところが間近に見られる感動的な場所だった。この時間既に夕方で日は西の低い位置だったので砂浜は薄暗くなりはじめているが、上空を飛ぶ鳥はスポットライトが当たったような感じになっていた。この条件にもうれしがらされた。
1時間ほどして緑のプラヤベルデに戻ると、ちょうど日没時間でここでも日が落ちる様を楽しむことができた。また、動植物も夕陽を浴びて赤く染まっていたのも印象的だった。
フロレアナ島の概要と撮影した写真は、Galápagos Photo Galleryのフロレアナ島セクションに掲載している。
この群島で最大の島。また、火山の島で5つの活火山があり、ウルフ火山は近年も噴火している。
午前中はこの湾でのパンガ・ライド。湾の奥にマングローブの森に囲まれたアルコーブのようなところに入り込むと、凪いでいて穏やかだった。
ガラパゴスペンギンが泳ぎ、水面下にはエイ、ウミガメなどが泳いでいるのが見える。海流の影響で水が冷たいらしくて、他の島とは少し生物相が違うように思う。また、マングローブの林には、鳥やアシカが隠れているのが見える。ペリカンはおそらく海を泳ぐ獲物を見つけようとしていたのだろう。外来種のオオハシカッコウ(Smooth-billed Ani 別名:クロアニ)もいた。この鳥は固有種の生態系を脅かしているそうだ。
湾の外には水面にでた溶岩が点在する。その岩の上には、ガラパゴスコバネウという鵜が群れをなしている。その鵜が取ってきて雛に与えようとする魚を横取りしようとするグンカンドリが飛んできたり、ペンギンが魚を狙っていたりと鳥たちの楽園になっている。
活火山アスール山(Cerro Azul")を見ながらエリザベス湾でランチタイム。この時間からっと晴れていてデッキでのランチがとても快適だった。これがガラパゴスで最後のランチだったこと思い出す。
下の画像、手前に人が映っていたので消去した。
溶岩の岸辺にドライランディング。目の前にまさに荒涼とした溶岩の大地が広がる。表面が滑らかで、ロープを束ねたような模様をしているパホイホイ溶岩(Pahoehoe Lava)というそうだ。サラサラとした溶岩がこのようになるらしい。逆に粘っこい溶岩由来の表面が割れた溶岩はアア溶岩(aa Lava)というらしい。セロブローホ辺りで説明された気もするが記憶が曖昧だ。
調べたら正解だった。自分の記憶にもう少し自信をもっても良さそうだ。(笑)
観察用トレイルを歩く。この溶岩原の形成は古くないそうで、まだ植物がほとんどない。最初に進出する植物が、ヨウガンサボテンで、そのうち色々なサボテン類が生え、次いで樹木が育っていくとガイドが教えてくれた。
溶岩の上を暫く歩いて行くと、小さな池と周囲にささやかな緑が生育し始めた場所が点在してくる。そして草木があると鳥などがいるようになる。このなかの二つの池に、それぞれ一羽と二羽のフラミンゴがいた。ここのフラミンゴも人間を無視してくれた。
海岸に戻るとアオアシカツオドリに埋め尽くされた一角が見える。繁殖地らしい。
ゆっくりと求愛ダンスを見せてもらった。右足上げて、左足上げて、直れ...からの羽を目一杯広げる。これを繰り返すのだが、笑いを誘うダンスだ。
幾重にも折り重なるウミイグアナを見ることができたのもこの海岸。この5日間で見たウミイグアナはせいぜい数匹程度の群れだったが、ここでは重なり合っている群れを見ることができた。ガラパゴスで絶対に見るべき光景だろう。圧倒される。
この時すでに夕方で日没少し前だった。背景がオレンジ色のシルエットのやつはなんか哀愁を感じる。船に戻り太陽が隠れていくのを見ていた。ガラパゴスで最後の日没だったのだ。
じつは、この上陸中トイレに行きたくてたまらない状態だった。前日のポストオフィスベイでも似たようなことが起きていた。何か体調が良くないと自覚し、帰国したら直ぐに人間ドックを受検せねばと改めて記憶した日だった。この続きは後述する。
この夜は夕食後、下船のブリーフィングがあった。サンタクルス島では、乗船した港ではなくプエルトアヨラ(Perto Ayora)という南の港に着き、島を縦断して空港まで行くことになる。通常はチャールズ・ダーウィン研究所( Estación Científica Charles Darwin)に立ち寄りゾウガメをみるようになっていたが、ハイランドのエルチャト保護区(Rancho El Chato)というゾウガメ保護区で自然の中で観察できるという選択肢もあることがわかり、こちらに立ち寄ることにした。
イザベラ島の概要と撮影した写真は、Galápagos Photo Galleryのイザベラ島セクションに掲載している。
われわれにとってガラパゴス旅行の最後の島。プエルト・アヨラの町からバルトラ島の空港まで道路がつながっている。チャールズ・ダーウィン研究所もあり、観光客も多い。
第6日目の朝、プエルト・アヨラ港でクルーズ船から下船し、数名のメンバーとガイドとともに車でハイランドに向かった。場所は、サンタクルス島のほぼ中央の標高600mくらいの山の上にある。ゾウガメはこの山の中まで歩いてくるのだそうだ。気が遠くなりそうな距離がある。鞍型とドーム型の2種類とも見られるが、なぜかその違いを撮りわけていなかった。残念。
ゾウガメも他の動物と同じように人間を怖がらない。カメラを向けるとじっと見返したり、ただ無視したりで、逃げるようなことはない。泥だらけの顔でじっと見つめられるとなぜか微笑みがこぼれてしまった。
30分ほど滞在した後、空港へ向かいなんのトラブルもなく機上の人となった。
機上からサウスプラザ島が見え、セスヴィウムを思い出して、ガラパゴスとお別れした。
この旅行記で紹介しきれなかった写真は、別ページのGalápagos Galleryに掲載している。
本文中にも少し書いたが、この旅の途中で、血尿、頻尿に見舞われ、体調が悪いこと極まりなかった。帰国後、できるだけ早く受検できる人間ドックを予約した。その検査で膵がんが見つかった。この旅は、結果として、人生の大きな分岐点になったのである。 この記録は My resilience through cancer― 膵がん闘病記録 ―として掲載している。ご覧頂いて、この経験が、早期発見と標準治療の大切さを伝える一例になればと思う。