第一線から退いたら旅行に行きたいと思っていた。出張は珍しくなかったし、プライベートでも年1~2回の海外旅行は続けてきた。しかし、訪れてみたいところはたくさんある。特に国内で知らないところが多い。
月に一回は体調が良好な期間があるので、この期間にはどこかに行こうと思い立った。2013年の12月末、温泉に行けたのがきっかけだった。そして、1月から続けている。(2014年8月はパス)
旅行やイベントのことは気が向いたらブログのどこかに書くかもしれない。
病院関係のことも紹介しておきたい。東京広尾の日赤医療センターである。
実は、2013年に内科のクリニックができるまで、日赤医療センターが自宅から最も近い病院だった。広尾に住むことにしたのはさかのぼって1994年。もう20年も前のことである。それまで練馬区に住んでいたのだが、共働きで二人とも帰りが遅く、タクシーでの帰宅も頻繁だった。一人一回のれば約7,000円。月に10万円を超過することもあった。その分を住宅費に充てれば、通勤も楽になると考え都心に出てこようと考えた。コストを変えずにライフバランスの向上を図るための方策だったのである。
更に、2年後、給料を支払ってくれる会社が変わり、健康保険も変わったこともあり、数年前に一度だけ人間ドックに来た日赤を行きつけの病院にしてしまった。日赤は、全国にも名の知れた総合病院であるが、だからといって病院であることに違いはないと考えていて、診断してもらうときに長時間待たなければならないことが多いことを受容すれば良いだけのことだろうと思っていたのである。それから、ほぼ毎年人間ドックを受検してドックの看護師さんから覚えてもらうことも繋がっていた。何という贅沢な環境を作ることができていたのだろうと今更ながら感心する。今回は、良い病院に近いところに住むというリスクヘッジが生きたともいえるかもしれない。
退院後、引っ越して少し離れたがそれでも歩ける距離。日赤には、足を向けて寝られない。
日赤へのリンクはこちら。
車いすに乗って4階の手術室に入っていったときのことは、検査と手術のページでも書いたが、少し付け加えておく。 手術室に入るときは、被術者の取り扱いは病棟の看護師から手術室のクルーにバトンタッチされる。その手術室クルーに導かれて、部屋の中に。と、思ったら、50m道路かと思う広い廊下が延び、両側に6室ずつのチャンバーが並んでいる。この何というかインフォグラフィック的光景には、正直圧倒された。未来の医療施設!この圧倒され方は半端ではなかった。最新技術が適用されるという安心感がぐっと強まったのである。後から、調べてみると、久米設計+大林組が2011年3月に完成させた最新の安全技術を駆使したそれこそ最先端の病院だったのである。目の前の病院だから建て替えされていることはもちろん知っていて、新しくなってからも来ているのだけれど、改めて認識した。余談だが、建築関連の仕事をしていて、二つの大学病院大の建て替え計画にプロポーザルを提出したことがある。落選したのだが、改めて持っていたこの分野の知識があまりにも古くまた不十分であったことを認識でき、当選しなくてよかったと思ってしまった。
冒頭で、伊藤医師のことを書いたが、入院してからも凄い人で評価が一貫している。何が凄いのかは書いてないけれど。映画に出てくる凄腕女医という感じか。とにかく、私は、彼女の決断で助かったと信じている。それだけでも凄いと言わせてもらおう。
実際に、執刀してくださった、井上医師、佐藤医師。伊藤医師のサポートをしていらっしゃる加藤医師。麻酔の折原医師、細川医師。直接は関わって頂けなかったが、かの幕内院長。皆さん、精力的で献身的な方々である。これからのページで彼らのことを書き加えるエピソードがいくつも出てくると思う。
皆さんには、感謝しかない。
看護師さんのことを書こうと思っていたのだけど、難しい。何せ、延べ60人を超える方が担当してくれたのだから。みんな、ホスピタリティあふれるサービスをしてくれた。中でも、夜勤で担当してくれた看護師さんにはお世話になった。趣味が同じで、暇なときに話に来てくれた娘もいた。 ほんとに、ありがとう!
手術件数 2014年8月の時点で日赤医療センターのウェブサイトを見ると、今年一年間の日赤での胆嚢・胆管癌や膵臓癌関連の手術件数は、203例で、膵頭十二指腸切除を18例実施したとなっている。私の手術もこの18例のうちにカウントされているはず。意外と少ないのは、手術することで回復する可能性がない人が多いのだろうと思う。改めて、幸運に感謝。
手術で、現状の打破はできたものの、がんという爆弾を抱えている。今後は、再発することを抑止する戦いが始まるわけである。前にも書いたが、日赤では放射線療法より、化学療法を採用することが多いようである。化学療法とは、薬を使う戦いである。選ばれた武器は、ジェムサールの点滴投与と経口薬TS-1の併用であった。
退院後、2週間目の10月24日の木曜日から、この戦いが始まることになった。2週間の抗癌剤投与と2週間の休憩、つまり4週間を1クール(サイクル)とする。抗癌剤は癌の種類によって違うとか、人によって副作用が違うとか単純ではないらしい。よく聞かされたのは、「ものすごくしんどい」らしいとか「髪が抜ける」らしいとか。(後者には、いつも「もうないので心配無用」と返していた。)開始前には、怖がらせるようなことを教えてくれる人が多かった。
初回はもう一度入院して病院内で実施した。副作用が厳しい人がいるので、反応を見るためとのこと。結果はほとんど平常と変わらず、通院での化学療法実施となったのである。
外資系で働いているのだが、同僚は(女房殿も)キモ治療と呼ぶ(Chemotherapy)。簡単な表現で、重苦しくない響きが気に入っていて、普通に使っている。
もう一種類、インスリンも投薬している。食前に即効型と就寝前に持続型の計4回、自分で注射を打つ。製造元のすい臓を切り出しているので当然と言えば当然不足するはず。インスリンを投薬して血糖値をコントロールするのである。血糖値の測定結果と夕食のメニューを記録して、糖尿病内分泌科の医師に報告し、投与量を決めてもらっている。今のところうまくコントロールできているらしく、6月から夕食前の投薬をなくす試行もやっている。
一回一回の高低に一喜一憂する必要はないとのことだが、低血糖には気をつけなければならないと言い渡されている。低血糖によって意識を失うこともあり実質的な危険が伴うから。2014年夏に話題になった車運転中の意識喪失は正にコントロールできなかった事例だろう。食事をする前にインスリンを打つ、つまり、食事によって跳ね上がる血糖値を安定させるためである。時間で服用する薬とは性質が違う。
ところで、インスリンは、アルコールと相性が悪いとのこと。詳しい説明はできないが、急激な低血糖を引き起こす原因になるらしい。禁酒が言い渡されている大きな要因のようだ。ま、リスクをとるつもりはなく、おとなしく禁酒している。実は禁酒しても、あまり影響がなかったのには自分でも驚いている。前は、死ぬまで酒だけはやめられないなんて言っていたのに不思議。
なお、すい臓は復活しないらしいので、最期まで付き合う注射である。
化学療法の説明をもう少し。
15日が1クールと書いたが、まず、第1日目に血液検査をして問題がなければ、点滴の投与を受ける。その日の夕食後から経口薬を飲み始め、第15日の朝食後まで続ける。1日2回である。そして第15日に再度点滴を受け1クールが終了する。途中の第8日の中日にも通院して検査を受ける。 検査の主な目的は免疫機能のチェックらしい。白血球値で見る。4,000~8,000個/μ㍑が正常値らしいが、1,000個/μ㍑台まで減少することがある。このような場合は経口薬を3日ほど休薬して増加させる。
そのような1クールの期間の中で体調は変わる。点滴後は吐き気留めのステロイド系の薬が効いていてハイになる。薬が切れる金曜日、土曜日あるいは日曜日に気分が低下し、何かやろうと思っても億劫で、眠る時間が増え、食欲も落ちる。とはいえ、それ以外はほとんど影響がない。辛い日があるが、他は結構まともな生活が出来ている。
次のようなイラストしてみるとわかりやすいかも。体調を感覚的なグラフにしてみた。
助言・支援を期待する。勤務は、在宅で良い(もちろん出社を拒否されるものではない。)必要な会議には出席する。今後の仕事について会社と合意をした基本内容である。なんて良い会社だと思われる方も多いだろう。しかし、実は50代の半ばには最前線から一歩引きたいと考え、数年前から社長と相談していた内容に近い。この機会にといった感がある。
ということで、仕事のストレスからは解放された生活を送ることができている。(ストレスゼロではない。やっぱ心配性で・・・)
退院してまもなく9月の入院の直前に約束し果たしていなかった新入社員入社半年の懇談会(名称に格好つけても私的な飲み会)が12月中旬に実施されることになった。新入社員が段取ってくれたのである。新入社員は10名に満たないのでこぢんまりした会と思っていたら、先輩にも声をかけ、結局30名以上が集まり、お店貸し切りのパーティになった。心配してくれたみんなに感謝である。
このパーティで、懇親会などの場に参加できる自身がついたのは大きい。何年も参加していなかった同窓会にも顔をだす、会社に行かない日でも懇親会だけには参加するといった調子で、誘ってもらえる機会には積極的に参加するようにしている。
第一線から退いたら旅行に行きたいと思っていた。出張は珍しくなかったし、プライベートでも年1~2回の海外旅行は続けてきた。しかし、訪れてみたいところはたくさんある。特に国内で知らないところが多い。
月に一回は体調が良好な期間があるので、この期間にはどこかに行こうと思い立った。2013年の12月末、温泉に行けたのがきっかけだった。そして、1月から続けている。(2014年8月はパス)
旅行やイベントのことは気が向いたらブログのどこかに書くかもしれない。
この闘病記、現在は2014年8月時点までのことを書いている。また、折に触れて更新する予定。いつになるかは不明だけど。